2010.02.10 Wednesday
高遠城攻略旅行


日本100名城30 高遠城
高遠城は江戸時代には保科氏、鳥居氏、内藤氏と、代々譜代大名の居城であり、特に内藤氏は元禄4年(1691年)以降明治にいたるまで続いた。
内藤氏は3万3千石ながら江戸に広大な下屋敷をもち、その江戸屋敷跡地が現在の「新宿御苑」となっている。
内藤氏の本城であったここ高遠城の跡は「高遠城址公園」となり、現在は県外にもその名を知られる桜の名所。「高遠城」の存在を知らない人でも「高遠の桜」なら見に行ったことが有ると言うくらいだ。
逆に言えば、100名城としてはかなり地味な存在で、天守閣(は元々存在しなかった模様)はもちろん、一般の人が「城」と認識できるような櫓や高石垣などの目につく遺構は残って無い。
城跡として良く残っているのは、城の各曲輪を間仕切っていた空堀。高遠城の築城は、記録に残るところでは武田信玄によってなされ、その配下の山本勘助による縄張だとも伝わる。
城は三峰川とその支流の藤沢川が合流する地点の小高い段丘上に位置し、中心の本丸を囲む形で二の丸・三の丸やいくつかの曲輪が設けられ、江戸時代に部分的な改修は有ったものの戦国期の土造りの城の形をほぼそのまま受け継いだとされる。

高遠閣(地図)という建物がある公園北入口で「高遠城址公園案内図」を入手し、それを片手に城の各曲輪と堀を意識しつつ園内を散策すると、自然の地形を生かした城の縄張をうかがい知ることができる。
冒頭の写真はかつての本丸の入口に建つ門で、スタンプの意匠にも用いられているものの、高遠の本町にあった問屋門を移築したものであり本来の城の遺構ではない。
数少ない木造建築物の城の遺構としては、かつての三の丸跡に藩校の「進徳館」(地図)が現存する。「進徳館」は幕末(1860年)に創設された藩学校で、講堂と生徒控所であった二棟と玄関及び表門が残っており国指定史跡となっている。
これと別に「伝、大手門」(地図)という門も現存している。
「伝、大手門」は、現地の説明板によると、(1984年までこの場所にあった)高遠高等学校の正門として使用されていた門。昭和29年(1954年)に、かつて高遠城の大手門だったといわれている門を寄贈され現在地に移築したものなのだそうだが、
「うーん、これが城の玄関ともいえる大手門?元は二層の櫓門が切り詰められた形だと言われても・・・ねえ?」という所が実際に見た感想。

いずれにしても、城跡見学のために訪れるのであれば、桜の時期だけは外していかないと、駐車場(花見の期間は有料)を探すだけでも一苦労なのでご注意を。
花見の時期以外はガラガラの駐車場がそこここにあって無料で利用できる。
日本100名城スタンプラリーのスタンプは、当初の設置場所「高遠閣」から「高遠町歴史博物館」の受付に変更されていた。
「高遠町歴史博物館」は城跡から南側に下った高遠湖の畔にある。(「高遠町歴史博物館」地図)
本丸周辺とはかなりの高低差があり、一旦下ってしまうと上に戻るのは結構きつい。車で行く場合には先に直接歴史博物館へ行った後、車で本丸周辺の駐車場まで移動するのが無難。
タクシーなどで行く場合は本丸周辺で降ろしてもらい、城跡を見学しつつ博物館へ下ってくると無理が無い。
日本100名城30「高遠城」
所在地:長野県伊那市高遠町東高遠城跡
見学無料
アクセス:JR飯田線「伊那市」駅からJRバスにて約25分「JR高遠駅」下車、徒歩15分
高遠城地図
(本記事に掲載の情報・内容は2009年6月25日旅行時ものです)